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プロフィール
Kitaoka
Kitaoka
Saxを始めて約54年となり、現在のラテンバンド ”ロス・アフロ・クバーノス”では 50年の実績を持ち バンドリーダーとして活躍しています。

2021年02月27日

ロス・アフロ・クバーノスのあゆみ3

1980(昭和55年)第1回知多市サマーコンサート出演
 8月 知多市の海浜プールにて第1回知多市サマーコンサートに出演し“ダンシング オールナイト”を演奏。

1982(昭和57年)練習場所、東海市「文化センター」に変更
 喫茶「オアシス」が閉鎖され、東海市「文化センター」<有料>に変更することになった。
 3番目のユニフォーム、青色半袖Tシャツ(オリジナル・デザイン)完成。この年メンバー10名。

1983(昭和58年)4番目のユニフォーム「赤シャツ」追加
 3月バンドイメージ刷新のため、ユニフォームを真っ赤な半袖シャツにした。
 第3回黒石ソフトボール同好会の親睦パーティー出演を期に、広瀬武雄がマネージャー兼MC役となった。

1986(昭和61年)練習場所、材摠木材「独身寮」(飛島村)に変更
 有料の練習場所で会費先細りが心配されたが、北岡一俊が勤務する 材摠木材「独身寮」(飛島村)を無償で借りる
 ことができ充実した練習ができるようになった。

1987(昭和62年)サックスにエフェクター付アンプ導入
 T.Pet、キーボードの音量バランスを考慮して、サックス陣にエフェクター付アンプを導入し、ミニ編成ながら
 フルバンドの迫力を出すことに成功。更にこの年 A.Saxの 構 茂雄が入団した。

1994(平成6年)5月「青年の家」にて合宿
 この年、メンバーが14人となり(人数だけは)フルバンドとなった。日頃の練習不足を補うため、5月に、
 久々の「合宿」を   行った。この時、実施した“アンケート”により、PA機材の更なる充実などが決定した。
 (アンケートでは、テンポの安定や音の幅を広げる目的からシーケンサー導入可否を問うたが否定された

1996(平成8年)メンバー増強
 3月にはメンバーが過去最高の18人(MC含む)となり立派なフルバンド体制ができたが、練習場所や本番会場問題
 パートアレンジ追加など運営が難しくなった年でもある。

1998(平成10年)30周年記念「ファミリー・コンサート」開催/メンバー退団
 5月17日豊明市の“バリ島”において「ファミリー・コンサート」開催し、盛況のうちに無事終了することができた。
 【同時に譜 面台を更新】しかし、18人となったメンバーのうちバンド運営上の不満を持つ者が先導して5人が退団した。
 更に坂、磯辺、鈴木<後日復帰>の3人は経済的な問題から練習を欠席するようになり退団、アンサンブルの
 バランスを 考慮してメンバー人員調整の結果年末には9人となってしまった。

1999(平成11年)シーケンサー導入
 9人の小編成になり不在パートの補充とテンポの安定を考慮して、北岡兄弟の手で「シーケンサー(YAMAHA:QY70)」
 が 導入され音に幅のある安定した演奏ができるようになったが、当初テンポをシーケンサーに合わせるのが難しく練習を
 繰り返したが習熟にかなり時間を要した。
 9月にトランペッター在間泰晴が入団し、メンバーが10人となった。

2003(平成15年)「ゆうゆうの里」慰問(2回目)
 10月長年MC兼マネージャーを担当していた広瀬武雄氏が他界した。
 11月浜松にある老人ホーム「ゆうゆうの里」を慰問し好評を得た。

2004(平成16年)「明治村」聖ザビエル天主堂 ライブ
  広瀬亡き後以前DPで関係のあった本郷をMCに起用し、その後更に鬼頭がマンボランドで゙パーカッション
 (コンガ)を勉強中の加藤をメンバーに加えた結果11人となった。翌年の愛知万博に出演するため 4月には
 ボーカルの杉浦マキをメンバーに加え練習を開始した。 6月 明治村 聖ザビエル天主堂にてライブ。
  

Posted by Kitaoka at 13:48Comments(0)TrackBack(0)ラテン音楽

2021年02月07日

蛭が高原合宿写真

1968年8月バンド発足当初の合宿写真  

Posted by Kitaoka at 15:56Comments(0)TrackBack(0)ラテン音楽